私は巡礼者
このブログには巡礼のことは書かずにいこうと思っていて、別ブログを使っていました。
しかし、こちらのブログは日記のように使っているし、別ブログの方にこれまで行った数多くの巡礼の記録を多く残せている訳ではないので、これからはここに残していこうと思います。
ひとまず、私が今までに行った霊場は、
などです。
小さいところも含めるとキリがないのでメジャーなところのみ書きました。
それぞれの霊場について簡単に紹介していきます。
四国八十八か所
日本で一番有名な霊場で、四国にある空海ゆかりの88カ所の仏教寺院の総称です。
寺院を結ぶ歩き道を「遍路道」と言いますが、その全長は1100km~1400kmほどと言われています。また、一般的に四国八十八か所は「歩き遍路」のイメージがありますが、近年では巡礼方法は様々で、徒歩、バイク、車、ツアーバスなどがあります。徒歩と車で移動ルートが異なるので全長に大きな差があります。
その工程は長いので、始めたら途中でやめられないわけではなく、2泊3日で数回に分けて巡礼したり、「一国参り」といって県ごとに巡礼したりする場合もあります。
私が行った時には1週間で全て巡礼し、最後に高野山に参りました。
西国三十三所観音霊場
この霊場は観音菩薩を祀る近畿地方と岐阜県の33カ所の寺院と3カ所の番外霊場からなる観音霊場です。
上人は一度718年に病死した時に閻魔大王と会い、地獄にやってくる人の数があまりに多いため、生前に罪を悔い改めることができるように観音霊場を作れと言われたため、蘇生して観音霊場を作ったという伝説があります。
しかし、この時にはあまり世間に受け入れられることはありませんでした。
その後、この霊場を再興したのが、花山院(968~1008年)です。
花山院は那智山で参籠していた時に、熊野権現の託宣を受けて観音霊場の存在を知り、巡礼方式などを定めて再興させました。
近世になるにつれて、庶民にも盛んに巡礼が行われるようになり、現在に至ります。
私は今現在、12回目を巡礼している最中です。
近畿三十六不動尊霊場
この霊場は近畿地方にある不動尊を祀る36か所の寺院からなる霊場です。
霊場の選定は、宗派関係なく一般の人々からも意見を募って行われ、1979年に作られました。日本で最初の不動尊霊場です。
36か所であることは不動明王の眷属が三十六童子であることからきています。
不動明王は密教特有の尊格である明王の一尊であるため、お祀りする寺院は山深いところも多く、26番は比叡山内、35番、36番の寺院は高野山内となっています。
そのためか、私も全て巡礼するまでに数年かかりました。
神仏霊場巡拝の道
この霊場は、伊勢神宮と近畿地方の152の社寺からなる霊場です。
2008年に設立された神仏霊場会により、当初の125から現在の152まで拡大されました。
伊勢神宮には番号が振られていないので、全部で154カ所巡礼することになります。
その御朱印帳はもう辞書のような厚みです。
あまりにも数が多いので、これはライフワークで死ぬまでにできたらいいかという気持ちで始めましたが、結局3年ほどで終わりました。
秩父三十四観音霊場
観音霊場といえば33のイメージがありますが、観音霊場には「百観音」というものがあり、この霊場の34番水潜寺が秩父観音霊場の結願寺であり、百観音の結願寺でもあります。
その起源は諸説ありますが、おそらく室町時代には定着しており、江戸に近かったことから江戸時代には庶民の巡礼が盛んに行われたようです。
また遍路道の全長は約100kmで、秩父という範囲内で巡礼が完結することから他の霊場よりも気軽に始めやすいことも相まって人気がありました。
私が巡礼した時には2泊3日で行きました。その時はちょうど60年に一度の甲午歳総開帳だったため、普段は秘仏とされている各寺院のご本尊を拝観することができました。秩父観音霊場は12年に一度開帳しているので、次の開帳は令和8年になります。
以上が紹介になります。
もっと早くブログを始めていたら全部残せていたなーと後悔したり、あの頃は多分書けなかったなと仕方なく思ったりです。
これからちょこちょこ書いていきますので、興味があれば訪れてみてください。
巡礼は結構悲しいことやしんどいことも多いですが、
家族の健康や子どもの将来の幸せを熱心にお願いする人の姿を見て、まだ世の中捨てたものではないなと感じます。
そういう姿を目にすることで、自分も他の人に幸せを願われて生きているんだ、自分1人で立派に生きてるわけではないと戒めるものでもあると私は考えて巡礼に行っています。
最近は特にSNSなどで人の悪意が伝わりやすい世の中になってしまったと思います。
できれば悪意ではなく幸せなことが伝わっていくように、していきたいですね。